自分年表

Q.1  0歳
福島県郡山市で、生まれる。4000グラム越え。
末息子・ボブちゃん(父)と末娘・みー(母)の長女。
溺愛注意報発令。
久々の孫に親戚一同歓喜する。
2月うまれで雪が降っていたので「美雪」になるはずが、
生まれたときには止んでいて「☆maa☆」になる。
Q.2  1歳
田舎で近所に親戚(両親方の実家も徒歩圏)に
可愛がられながら、ノビノビ育つ。
1歳4ヶ月違いの妹が生まれる。
学年は2つ違いだけど実は年子(2月生まれと6月生まれ)。
この年にして「姉」。
Q.3  2歳
身体は大きい。
声も大きい。
だけど、内面は案外ナイーブ。
妹と共に、双子のように育つ。
オムツはずしは妹と同時だったらしい。
Q.4  3歳
近所の子どもとも遊ぶけど、
一人が好きだった。
「プリンプリン物語」が凄く好きだった。
Q.5  4歳
幼稚園に入園する。年中。
自家中毒で吐きまくる。
秋頃まで、給食を完食できず、
いつも残される。
月齢が低いので身体は大きくても中身は幼い。
Q.6  5歳
新卒の先生が年長の時の担任。
ピアノはうまくなかったけど(笑)、
絵がとても上手で、優しくて、一生懸命で大好きだった。
私の特技を見出してくれて、
お遊戯会のメンバーに選んでくれたり、
毎日、文通をしていた。
この先生のお陰で、幼稚園が好きになり、
将来の夢は「幼稚園の先生」と決めた。
この先生に、今、会って話をしてみたい。
私の人生を大きく左右した。
Q.7  6歳
小1。徒歩20分、集団登校。
冬の寒い中、堤防を歩いて、自分の背丈より高い雪を
掻き分けて登校したことは、忘れられない;。
Q.8  7歳
小2・夏。8月B日。
父の仕事の都合で、チバに引越し(父は東京勤務)。
担任の先生が最悪で、
「九九」を言えないと、家に帰してもらえず、
引っ込み思案だった私は、恐怖と緊張でいえなくなり、
いつも残され泣いてばかりいた。
私が算数嫌いになったのはヤツのせいだと思う。
今思えば、軽い虐待(言葉)教師だったかも。

父が東京勤務のおかげで、後楽園球場など、
連れて行ってもらう。
生・クロマティも、同郷の中畑サマも、原さまも、皆ステキ!!
私が野球オタクになった原点。
予定では小6までに福島に戻る予定が、
父の仕事が東京の方で軌道に乗り、結局定年までいた(笑)。
Q.9  8歳
小3・メキメキと、文章を書くということをスキになる。
クラス新聞のTOP記事を書く人に選ばれ、
それが、市のコンテストで、金賞を受賞し、
皆で、観に行った時の誇らしい気持ちを今でも覚えている。
Q.10  9歳
小4・笑っちゃうけど、人気投票状態で、学級委員長をした。
しかし、皆、父さんの仕事柄、ほとんどが転勤族で、
2年くらいすると居なくなって寂しかった。
Q.11  10歳
小5・光GENJIのかあくんがスタア。
しかし、学校では、強気な性格で、リーダー争いのようなものに
巻き込まれ、毎日がギスギスしていた。
Q.12  11歳
小6・授業はサボるは、親に内緒で、原宿に遊びに行くわ、
一番荒れていた時期。
その時期を支えてくれたのが、HIROちゃん。
もし、HIROちゃんがいなかったら、
間違えなく、反れた道に進んでいた。
Q.13  12歳
中1・偶然、小6の謝恩会で小4まで仲のよかったBONとの縁が復活。
同じクラスにもなり、部活も一緒。
担任のPEEも最高のキャラで、やっと自分の居場所を
見出せた。
学校が大好き!!
上下関係は厳しかったけど、部活の仲間も大好き!!
そして、Mっぺに恋をした〜♪
3年間の熱い片思い♪
Q.14  13歳
中2・よっちと出会う。
今まで、ある意味隔離された世界ですごしてきた私にとって、
よっちとの出会いは、まさに異世界との遭遇状態。
授業なんて聞いてなかったけど、
交換日記もして、本当に毎日がハッピー。
学校大好き!!友達大好き!!恋する自分も大好き!!
人並みに塾に行く。
小学校の時、あれだけいがみ合っていた友人と何なく和解。
あの頃のわだかまりが全て取れた感じ。
人生ってうまくできてるよな〜と、
小6〜中1のBONとの再開も含めつくづく実感。
野球熱が上がり始める。
宮本投手の大ファン。
Q.15  14歳
中3・一応受験生。
「公立高校」と名のつくところならどこでもいいやと
思っていたので、無難に近所の高校へ。
A判定の学校だったので、はじめから受かると思ってた。
別名・付属中学出身と言われるくらい中学の目の前の高校を受験した。
おかげで、受験生とは名ばかりで、ノビノビ過ごしていた。
Q.16  15歳
高1・初めて彼氏ができた。一つ年上の先輩だったけど、その頃って、オトコノコの方が、精神年齢が低いでしょ。自然消滅。
野球のオッカケが楽しみ。
もちろん、友人もたくさんできて、遊びも楽しい!!
制服を着たまま、買い物やライブ、もちろん野球にも行った!!
科学の先生が福山政治似で、密かに3年間スキだった。
Q.17  16歳
高2・クラスの女の子全員がとても仲がよくて毎日楽しかった。
高校生的オシャレも楽しかった。
レスポ・エスプリ・ミッキー時計(ブロック&トーキング)・
ソニプラ・ルーズソックス(出たて)・紺のラルフセーター。
隠れてパーマ。
アルバイトもはじめ(近所のスーパー)
毎日が充実!!
Q.18  17歳
高3・愛しのK投手が開幕1軍入り。
ホレタ。しかも、数日後、初勝利の涙に私も涙;。
GIANTS球場やファームも行き始める。
進路を決める時期に。
ずっと、就職希望だったけど、この不景気。
なかなか、自分がやってみたい仕事がない。
そんな時、何を血迷ったか、幼稚園の頃の夢を思い出し、
「保育士」になりたくなった。
TVのドキュメンタリーで、「乳児院」の話を見て
「私にはコレしかない!!」と単純に影響されたとの噂も・・・。
両親は、まさか進学・・・とは思ったようだけど、
ピアノを習い始め(楽譜も読めなかった)、
無謀にも保育系の学校を探す。
学校では保育科のある短大をすすめられたけど、
金銭的に両親に負担もかけたくなかったし、
当時就職率ほぼ100%だった「U専門学校」に決める。
10月に推薦で決まってからは、遊びほうけてのほほのほ。
一番、甘甘な時期。
生まれて初めて「ピアノの発表会」に出る(笑)。
Q.19  18歳
専門学校1年生・厳しいと有名な学校だったけど、
2年間で、大学4年間の最低単位程度の学科を勉強しなくちゃ
いけなくて、朝から夕方までビッチリ授業。
特にピアノは厳しくて、毎週泣いていた;。
でも、野球のおっかけはヒートUP。
バイト・学校・おっかけどれも大事。
特定の彼氏はいなくてよかった。いらなかった。
合コンはその場が楽しければよかった。
Q.20  19歳
専門学校2年・実はお嬢様学校だった中、私は異端児だった。
けど、皆、それを面白がってくれた。
修学旅行の韓国は、女子校だから、面白かったんだと思う。
VIPホテルに泊まって、場違いな自分にやっと気が付く。
友人は免税店でこぞってブランド物買い。
愛しのK投手のファンクラブのインタビューが当り、
初めて、まともにお話する。ますますファンに!!
おっかけ道はとどまることを知らず、
遠征や、宮崎にも行く。
就職はするつもりもなかったのに、
なぜか、住んでいた市の求人がきて、
駄目モトで受けたら受かってしまい9月から、
土曜と、学校の休みのときはバイトをすることに・・・。
自分の中では誤算だった;。
Q.21  20歳
保育士1年目・乳児担当(りす)
愛しのK投手は、NYへ〜。
私は新米保育士をとして、悪戦苦闘しながらも、
同期に恵まれ、毎日飲み歩き、ストレス発散!!
新宿の飲み仲間もできて、仕事も遊びもおっかけも一番充実!!
Q.22  21歳
保育士2年目・年中長(ぞう)
「10年に一度の問題児そろいのクラス」の担任に。
誰もが、担任をしたくない〜と思っていた;。
毎日、ナキナキ、仕事する。
辛い;。先輩も保育観が合わないし、
園長も主任もみんな役たたず・・・。
病気(メンタルも)に倒れる。

質問 : 自分年表
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